「一浩と栄里子のあたしんち」第72回 「国際人」

国際人(Cosmopolitan Person)という言葉をしばしば耳にします。
そこで自分は国際人なのか?国際人になろうとしているのか?を考えた事がありました。

ところで国際人とはどのような人のことをさすのでしょうか?
国語辞書を引くと「①広く世界に活躍している著名な人。②教養や語学力があって、世界に通用する人。」とありました。
この辞書の「著名」「語学力」「世界に通用する」に、私は引っかかります。

英語辞書を引くと「外国での経験が豊富で国家的偏見にとらわれず国際的な視野を持った人のこと。」とありました。
ここでも「外国での経験」というのが私は引っかかります。
つまり「無名」で「語学力がなく」「世界に通用しない」「外国経験のない」人は国際人ではないのでしょうか?

「国家的偏見」「国際的に視野」という言葉には深く同意します。
「著名」で「語学力」に優れ「世界に通用」しても「国家的偏見」をもち「国際的な視野」をもたない人は国際人とは言えないと思います。

他国のことは考えずに「○○○○ First」と自国のことしか考えない方は国際人にはほど遠いでしょう。
国家元首であれば自国のことを優先するのは当たり前ですが、我々は「宇宙船地球号」に同乗している同僚なので、自国民族主義のみを掲げていると結果的に我が身に振りかかってきます。

私は著名でない普通の人間ですが、色々な国の友人がおります。Facebookの友達の1/4が外国人です。
通訳がいれば語学力は必要ないのですが、普通の人には通訳はつきません。
したがってある程度の語学力は必要です。

以前、アメリカ人のDonと経済、イスラエル人のYoavと中東問題、南アフリカのCaraとApartheid(人種隔離政策)、フランス人のPaulと原爆投下について話した事があります。
このような話になると流暢な発音で喋るというより、Vocabularyが重要で辞書片手で話をします。つまり受験英語がものを言います。
色々な国の人と腹を割って話すと、考え方や文化の違いをひしひしと感じます。日本人とは全く異なる意見を正論とする考えもしばしばあります。

私なりの考えとして国際人とは「自分とは違う、人種、文化、習慣、宗教、常識を受け入れるか受け入れる努力をする人。」だと思っています。
だからと言ってエスキモーの食文化のように腐った生肉や、イタリアの食文化のように生きたウジが沸いたチーズを食べる気にはなりません。
逆に日本の食文化にある生きた白魚の踊り食いも外国人には耐えられないと思います。日本の常識は世界の非常識にもなり、その逆もあります。


最後にアインシュタイン先生の150の名言集より一言。
「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう。」  

by 院長 福増一浩